2008/02/07
日本経済新聞 夕刊 22ページ

下りれば上る、頼りは自分
二○○一年。全国サイクリング大会が岩手県にやってきた。スターターだけでいいから知事として顔を出すよう頼まれた。ちょうど運動不足で悩んでいた。 移動は車ばかり。ひどい日は二千歩も歩かない暮らしで体はなまりきっていた。
せっかくだから少しでも走ろうか、と家内と一緒に平泉の中尊寺から出発した。恥ずかしながら自転車は買い物用しか知らなかった。ロードレース用に乗ってみると軽くこげて、何とも気持ちよい。北上川沿いを二時間ほど、約三十キロを一気に走り抜けていた。
スピード感と全身に受ける風のそう快さに病みつきになった。それまで週末は県内をあちこちドライブして回るよう心がけていたが、自転車ならすっとペダルを緩めれば、 川のせせらぎや子供の遊び声、生活の音がじかに伝わってくる。
風景の変化、季節の移り変わりなど様々な発見がある。それを受け止める五感が段々、研ぎ澄まされてくるように思う。 家内とともにロード用の次はマウンテンバイクを手に入れ、林間コースにも挑戦。中間タイプのクロスバイクも買って、いま我が家には六台。
軽さと走りにこだわる上級車は作りも精巧で芸術品並みだ。私は人に任せがちだが、サドルやブレーキなどを取り換え、手入れを続ければ一生ものらしい。
一人では走らない。盛岡ではクラブに入って仲間と走っていた。故障や事故への備えもあるが、やはりその方が楽しいから。県庁の若手職員、会社員、大工、医大生……。 走り終えてわいわい食べたり。職業や肩書、年齢なんか関係ない。
東京では多摩川沿いを羽田空港まで、家内と往復一時間ほどのコースが定番だ。自然が豊かな岩手とは風も景色も違うし、楽しみ方も変わってくる。また新しい仲間も見つけたい。
ただ、走っている最中は頼れるものは自分の力だけになる。自転車は出発した地点に必ず戻る。最初に下りで楽をすれば、後で同じ分だけ上る。逆も同じ。楽あれば苦あり、苦あれば楽ありだ。踏み込むペダルの感触が両足の裏にズンズンと心地よく、苦しく響く。運動のためにと始めたが、こいつは意外と奥が深い。